今回の〈教えて!狩猟の達人〉は、雪が降る前に……と、北海道は日高の新冠町に鍋澤正志さんを訪ねました。鍋澤さんは、プロフェッショナルなミートハンター。エゾシカ専門の解体処理会社の職員として、狩猟を毎日の仕事にしている人です。日本ではほぼ唯一、遠距離射撃による「流し猟」が可能な北の大地で……それにしても200メートルとか、300メートルとか、新米ハンターには想像がつかない世界ですが、いろいろと教えていただこうと思います。というわけで今回は、ちょっと勉強も必要……かな?
新千歳空港から2時間あまり、クルマは海沿いの道から丘に向かって、ちょうど「サラブレッド銀座」に差し掛かりました……が、すごい! 本当にウマ、ウマ、ウマ! このあたりはサラブレッドの生産牧場が続いています。ちょっとだけ観光客になってクルマを停めてみましたが、見渡す限り牧場ばかりの風景です。雄大な風景の中に緩やかな丘陵地が広がって、いかにも北海道!
……それで、ふと気になったのは、銃声のこと。実は取材をお願いしたとき、鍋澤さんから「猟場はすぐ近くだからね」と聞いていたのですが、見たところ自由に狩猟ができそうな乱場があるとは思えないほど、牧場だらけ……。ウマたち、平気なのかなあ? それに、さすがの北海道……まだ11月だけど、寒い!
ではでは、クルマに戻って鍋澤さんの待つ「北海道食美樂」に向かいましょう!
やあ、いらっしゃい。日高ははじめてなの?
そうなんです。はじめての実猟は西興部村の管理猟区にお世話になったんですが、北海道はあまり来たことがなくて……それにしても、サラブレッドの牧場がたくさんあるんですね〜。なんか、わりとお近くで狩猟をされると聞いていたわけですが、そんな場所があるのかなあ、と……。それにウマたち、銃声で驚いたりしないんですか?
いやいや、牧場で撃つわけじゃないからね(笑。それに、クルマでちょっと行けば、ちゃんと猟場はあるんだよ。まあ、中には牧草の獣害対策もあって、自分の牧場で駆除してる人もいるけどね。
そうなんだ……。本州だと「狩猟」イコール「山道」みたいな感覚になっちゃいますが、やっぱり北海道は違うんですね(笑。それに、それだけエゾシカが多い、ってことなんだなあ……。じゃあ、まずは北海道の狩猟のことや、こちらの解体処理施設としての設備のことなど取材させていただきたいので、よろしくお願いします!
どうぞなんでも見て、聞いてください。でもその前に……このあと3時半くらいに出るけど、見にくる?
え! これから出猟なんですか? なんか、勝手に「明日の早朝から早起きで勝負!」なんだとばっかり思ってました。
朝も猟には出るんだけど、それは山に帰るシカなんだよね。夕方のシカは、山から下りてきて、これから食事に出かける狙い目のシカなんだよ。本来は夜行性ではないんだけど、シカが増えて人間の生活に近づいてからは、夜行性化が進んでいるからね。それにここ数年で、シカたちもどんどん賢くなっていて、本当に日没の時刻で発砲できなくなると、ちゃんと出てくるの(笑。スマートディア、ってヤツで、タイミングの読み合いではこっちのほうが分が悪いんだよね。
なるほど〜。じゃ、前のシーズンでわたしが獲った西興部のシカも、ちょうど山から下りてきたところだったのかなあ……。日没ギリギリだったんですよ。
そう、実はベストなタイミングだったのかもしれないね(笑。さて、ちゃんと暖かい服に着替えて、準備ができたらウチのクルマで出かけるよ。
はい、お願いします!
後部座席に乗り込んで、まずは「流し猟」に同行しました。クルマを走らせながら、斜面の木立の中にシカのシルエットを探します。シカが山から出てきて、しかも発砲が可能な日没前の時間帯というのは、本当に短い間の勝負になります。ゆっくり走る……とはいっても決して徐行ではなく、このスピードでシカを見つけるなんて至難の業……。
……いないね〜。去年はまだ200メートルくらいの近さでシカを見つけてたんだけど、だいぶスレちゃって、今年は300から400メートルくらいになってるんだよね。
??? シカって「凄腕のハンターがいるぞ」とか教え合ってるんですか?
いや、群れを見つけたときに、オトナのシカを撃ち漏らして逃がすから学習しちゃうんだよ。群れの行動をリードしているのは、年のいったメスであることが多いんだけど、逃げるときもそのメスが方向を決めてたりするんだよね。それを逃すと、もうその群れは近くまで来なくなる。だからまず、群れをリードしているシカから狙うんだよ。そんなシカは警戒心も高いから、ただボーっと立ってたりはしないことが多い。でも、だからといって油断している狙いやすいシカから撃ってると、群れ全体がスレてしまうんだ。コンスタントな猟果を得ていくためには、簡単ではない獲物をていねいに獲っていく、というのが大事なんだよね。
でも、撃ったとたんに残りのシカたちは散り散りに逃げ出しますよね?
そうなんだけど、逃げるリーダーがいないと、パパっと走ったあとで、一瞬だけ群れの足が止まって、あたりを見回すんだ。戸惑うんだろうね。その瞬間に、次の1頭を撃つ……。
走っているところは撃たないんですか?
ウチの会社ではね、美味しく食べてもらうためにエゾシカを獲ってるんだ。だから、肉質が落ちるような撃ちかたは絶対にできない。撃ったら、走らせちゃダメなんだよ。体温は上がるし、血抜きも難しくなる。だから止まった瞬間を狙って撃つのが基本になるんだ。それに、カラダに当たったら、そのまわりの肉は食べられなくなっちゃうからね。狙うのはクビから上で、理想はアタマ。それが無理なら、撃たない。
(……それ、何百メートルも先のハナシだよなあ……すごい……!)
距離があれば、銃口をちょっと振っただけで狙いを変えられるでしょ? 巻き狩りみたいに近い距離で動いている獲物を狙うよりカンタンだよ(笑。
(……絶対……そんなことない……!)
15分ほど走りましたが、シカは見つかりません。北海道の全体でも日高のエリアでも、エゾシカの生息数が減少したと考えることは難しく、警戒心が強まって距離を眺めに取るようになってきたのではないか、といわれています。発砲が可能な日没の時刻までは、あまり余裕がありません……。
しかし、いないねえ……。じゃ、今日は流し猟を切り上げて、この近くにも待ち伏せのポイントがあるんで、そこに行ってみようか。
はい、お願いします。……待ち伏せ、って、どんなだろ?
待ち伏せのポイントって……ここ、普通にご近所さんのお宅ですよね?
驚いたかな? ここは民家だけど、このお宅の庭から裏に出ると草地になっていて、そこにシカが山から下りてくるポイントがあってね……。だから「ちょっと撃たせてくださいね」って声をかけて、ときどき猟をさせてもらっている場所なんだ。表側からはわかりにくいけど、庭を抜けると……。
あ、山だ! 本当に皆さん、自然の中で暮らしてるんですね……。それに、地域の人が狩猟にも理解があるというか……鍋澤さんたちが長く地域の中で活動してきた、ってことですよね。
まあ、牧場やってる人も多くて、やっぱりシカに牧草を食われて困ってたりするからねえ……。ほら、あの木立の切れたところから、草地に出て来ることがあるんだよ。その出て来たシカを、待ち伏せで狙うんだけど……オレはあっちに潜むから、少し離れて、ここで見ててね。……静かに、ね。
……はい……。
……銃身は迷彩色のネットで隠して、草地に腹這いになって、鍋澤さん、もうピクリとも動かない……寒くないのかな……いや、寒いよな……プロのハンターって、すごいなあ……。
……静かに待つこと、20分あまり。シカは姿を見せず、鍋澤さんはスッと立ち上がると時計を見て、こちらに戻ってきました。
はい、日没の時刻です。今日は残念でした。まあ、いないものはしかたないからね……。こんな日もあるんだよ。
おつかれさまでした……。
なんだか、ワクワクとハラハラとドキドキが全部いっしょになった緊張感を体験したあと、日の暮れた道を帰ります。すると……日没を待っていたかのように、あちらこちらにシカの姿が! さっきまでは、あんなに探しても見つからなかったのに……。シカが賢くなっている、というのは、どうやら本当のようですね。さて、今夜は宿で早めに休んで、明日は早起き! 果たして獲物は……?
なべさわ・まさし。日本初となるエゾシカ専門の食肉処理会社「北海道食美樂」創業メンバーとして、フルタイムで猟に出るミートハンター。食肉のプロとして射撃を極める64歳。