VOL.9-3

猟期の終わりに、龍祖さまにお会いしてきました! 静岡編[3/3]

2015年3月16日

2015年2月15日、鈴木忠治さんのチームではシカ1頭、イノシシ1頭の猟果に恵まれ、3カ月間にわたる猟期の最終日となりました。そして一同、自宅や宿に帰って小ざっぱりと着替え、土肥温泉郷のとある宴席に再びの集合で、これから納会です。仕事の都合などで山ではお見かけしなかった顔も、ちらほらと。そしてわたしも、ご相伴にあずかりました。

瀬川さんがご自宅から、木箱を抱えて到着しました。実はこの箱の中に、今夜の主役である山の神さまがいらっしゃるんです。はたして、どんな神さまが登場することやら……。

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鈴木さん

ほら、この箱、かなり古いだろ。江戸時代からずっと受け継いできた帳面もあって、名字のない時代だから、みんな地名と名前だけなんだよ。

あり

すごい! ていねいに扱わないと、破れちゃいそうですね……。

鈴木さん

……で、この掛け軸に描かれているのが「龍祖さま」だ。山の神さま、狩猟の神さま、そして鉄砲の神さまなんだよ。この龍祖さまのもとに集まる猟師たちの団体を「龍祖講」といってね、こうして集まって、龍祖さまにごあいさつして、山の恵みである猟果への感謝と、狩猟の無事を祈るんだ。

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宴席の床の間に、龍祖さまを祭ります。元からの掛け軸の上に失礼して、ちょっと間借りです。

あり

リュウソコウ……ですか。初めて聞きました。あ、鉄砲を持ってるんですね!

鈴木さん

火縄銃をね。この掛け軸は表具屋さんで表装を直してもらったものだけど、龍祖さまの絵は昔のままだよ。お姿もかなり薄れて、よ〜く見ないとわからないけどね(笑。

たしかに……古いです(笑。近くに寄っても、目を凝らしてみないとよくわかりません。どうやらこの「龍祖さま」はカラス天狗の姿で、右手に火縄銃を、左手に縄を持ち、雲に乗っている……ようです。文章で説明するといかにも恐ろしげですが、表情は意外にも柔らかくて、どこかお茶目な感じのする神さまです。

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鈴木さん

さ、みんな集まったかな? じゃあ、まずは龍祖さまに拝礼して、納会をはじめましょう。

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一同、二拝ニ拍手一拝です。そして納会に先立ち、鈴木さんから開会のあいさつがあり、なんと「目指せ!狩りガール」についても触れてくださいました。ちょっとだけ、ご紹介させていただきます。

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鈴木さん

……山の恵みとして猟果をいただくということは、命をいただくということです。わたしたちは、それを粗末に扱わないよう心して臨まなければなりません。いま、シカやイノシシなどの山の獣たちが増えすぎて、農業や林業に対して悪さをするということになって、有害鳥獣として駆除捕獲の対象になっています。しかし山の獣たちを悪者にしてしまったのも、日々の生活が山や獣たちから遠く離れてしまった、わたしたち人間の仕業なのだと思います。いまいちど山の獣たちと、いいバランスが保てるように、向き合っていかなければなりません。そのためにはきちんと獲って、美味しくいただくということが大切です。今日は「目指せ!狩りガール」のありちゃんが猟に参加してくれて、記事にしてくれるそうですが、こうやって若い狩猟者や、これから狩猟者を目指す人たちのために、大事なことを伝えようとしてくれる人もいるわけです。わたしたちにも、大事なことを次の世代に伝えていかなければならないという責任があります。それを忘れることなく、まずは安全に、そして楽しく、これからも猟を続けていきましょう。……では、乾杯の音頭は……おい、誰がやってくれるんだ(笑。

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心に響くお話のあとは、微笑ましい押し問答があって(笑)乾杯! 和気あいあいとした雰囲気の中で、納会がはじまりました。

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刺身や鮨が極上だったのはさすが土肥港!なのですが、メインの料理はイノシシの鍋でした。薄切りの牡丹鍋ではなく、すき焼き風に甘口の仕立てで、ぶつ切りのイノシシをコトコトと煮込みます。これ、ホントに美味しかった! しかも「みんな年寄りでたいして喰えねえんだからさあ、若い衆はみな喰っちゃって!」……ですって(笑。ええ、食べましたとも!


さてさて、龍祖講のことを、もう少し。帰ってから調べたこともあるのですが、まずこの龍祖講は、どうやら伊豆でも土肥の近辺に特有のものだったようで、江戸後期の文政5年、11代将軍であった徳川家斉の時代に、韮山の代官であった江川太郎左衛門が土肥天金の集落に結成させたのが起こりのようです。

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で、こちらに残る最古の帳面、まさに「文政五年」とあり、すなわち1822年です。日付は「三月」となっていますが、これは旧暦なので現在の4月にあたります。表書きは「龍祖講人紋帳」と見えますが、これは「人別帳」つまり江戸時代の戸籍簿のようなものを意味するのでしょう。

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裏書きには「豆州西土肥村 鉄砲仲間中」とあります。豆州は、伊豆の旧名。当時でも網やわなが、あるいは弓矢も狩猟に使われていたと思うのですが、この龍祖講は鉄砲撃ちの団体として組織されたようです。

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中ほどを開けると「明治十七年」とあり、ここまでに60年以上も書き継がれてきたことがわかります。日本史で習った「平民苗字必称義務令」は明治8年ですから、名簿の皆さんも日常では名字を使っていたはずですが、江戸時代から続く龍祖講の伝統にならったのでしょうか、名前だけの記入が目立ちます。

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そして、こちらは新しい……とはいっても明治45年の名簿です。あれ? 龍祖講の「祖」の字が「爪」になってる……。どうやらこれでも「リュウソコウ」と読むようですが、なぜ表記が変わったのかはわかりませんでした。

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とにかく、年に一度のお披露目とあって、皆さん興味津々! 江戸時代にはじまり、第二次世界大戦の前までは近郊のあちこちで隆盛だったのですが、狩猟どころではなくなった戦後の混乱期を経て、昭和の後半には衰退してしまいました。その一方で大日本猟友会が昭和4年に創設されているわけで、つまり龍祖講は猟友会より以前にあった狩猟者団体だったわけですが、現在ではここ土肥のように、龍祖さまの伝統を地域の猟友会が受け継いでいる……ということなのでした。

ちなみに、どうやらご本尊と呼べるような龍祖神が西伊豆町の別所(べっそ)神社にいらっしゃるらしいのですが……いつの日か、訪ねてみたいと思います。


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全国あちらこちらの地域に達人を訪ねて、新米ハンターとして学ばせていただけるのは、本当にありがたいことだと思います。この日も楽しいお話から厳しいお話までいろいろとうかがったのですが、最後にひとつ、ちょっと聞きにくい質問もぶつけてみました。狩猟事故の一件です。

皆さんの記憶にもあるかと思いますが、昨年7月、伊豆市内でのシカの駆除の最中に、誤射による死亡事故がありました。実は一昨年の猟期中の2013年11月にも、同様の死亡事故が近隣の地区であり、それをふまえて静岡県では全域での捕獲中止を決め、事故の検証と安全対策の再考に務めました。結局、銃による駆除捕獲の再開までには丸々ふた月を要することとなり、安全対策の検討ではいろいろな課題が浮かび上がりました。そして伊豆市では、銃による有害鳥獣駆除捕獲は、いまだ再開にいたっていません。

事故の発生した地域を管轄とする田方猟友会の会長として、鈴木さんも現場検証に行っています。当時の報道では「捕獲数を確保するための使命感と、焦りがあったのではないか……」とのコメントが紹介されていました。

いったい、なにが問題だったのでしょうか……?

鈴木さん

……やはりね、そこに「猟欲」が出たというのが、いけなかったんだね。あの日は伊豆市の有害鳥獣捕獲で、天城A班が山に入っていてね。5月から6月にかけて実施した県の管理捕獲調査のデータでは、その山にはシカが数多くいるということだったし、実際にその前年には同じエリアで一定数の駆除捕獲ができていたんだ。でも、去年の前半の作業では捕獲頭数が伸びていなくてね……獣害で困っているワサビやシイタケの生産者のこととか、損なわれていく自然環境の保全のことなどを考えたりすると、どうしても「獲りたい」とか「獲らなきゃ」という猟欲が、強くなってしまうんだよね。それが、矢先の確認が完全でないのに発砲するという焦りにつながったんじゃないかと……ね。そのほかにもあの事故では、亡くなった人が先に獲物に発砲していて、その確認のためかタツを数十メートルほど移動していたようで、その連絡が無線などで徹底されていなかったらしい……とか、誤射を起こした銃がスコープ仕様で視野が狭かった……とか、いくつものミスが重なった部分があったのは事実だと思うよ。でも、もう11年もシカの駆除捕獲を続けていて、参加したハンターたちの「シカ目」は十分に養われていると……養われていなければならないと思うんだ。それだけに「矢先の確認」と「獲物の確認」で、獲物の姿を十分に確かめないで撃ってしまったというのが、残念でならないんだよ。

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あり

そうなんですか……でも「猟欲」って、それが「獲物を仕留めたい」という気持ちだとしたら、誰にでもあるものですよね。それがないと山でがんばれないし、それに「逃した!」と思ったら、悔しいですし……。だから鈴木さんご自身にも「猟欲」はあるんだと思うんですけど、どうやって「猟欲」を抑え込む……というか、どう向き合えばいいんでしょうか……。

鈴木さん

山に入って、獲物を待ち構えているタツの自分を、ちょっと引いたところから客観的に見る意識が大事だね。冷静を保つ、というのは簡単なことじゃないし、タツで自分の気配を消して、山の自然と同化していれば、本能でもある「猟欲」を抑えるのもなおさら難しいとは思うけど、でも自分が「獲物だ!」と思った、その自分の目に対して「本当に獲物なのか?」と確かめる余裕が必要なんだ。……とにかく、ウチのみんなにはいつも「獲物の全体を見ろ! 逃がしてもいいから」といってるんだよ。獲物を見ても、それがシカであれイノシシであれ、頭や背中、尻だけ見て撃ってちゃダメだ。体の全体を見て、その周囲も見て、それで初めて「矢先の確認」ができた、ってことなんだよね。そしてタツ場を決めるとき、タツ場の周囲、両隣のタツ場との確認、撃っていい方向、ダメな方向……これらの基本をしっかりと頭に入れることだね。

あり

なるほど……よくわかりました。ちょっとお尋ねするのが心苦しい話でしたけど……ありがとうございました!

鈴木さん

大切なのは「見逃した獲物は仲間の誰かのところに行く」とか「またの機会に自分のところに来る」といった、気持ちの余裕を持つことなんだ。ま、とにかく無理はいかんね。無理なく、楽しく、安全に……安全が保てれば、楽しい猟になるはずだよ。また、いっしょに山に行きましょう。

あり

はい、ぜひぜひ! またよろしくお願いします!


鈴木忠治さん

すずき・ちゅうじ。静岡県田方猟友会会長にして、西伊豆小下田で老舗の釣り船店「とび島丸」を営む。狩猟歴40年、船長歴50年を超える海陸両刀の75歳。


あり

……というわけで、この「教えて!狩猟の達人」シリーズも、ここで一段落となりました。読者の皆さま、今シーズンも「目指せ!狩りガール」にお付き合いいただきまして、ありがとうございました。全国さまざまな土地を訪ねて、達人それぞれの哲学に触れる、濃いシーズンになりました。

あり

まあ猟場では最後まで発砲するチャンスは巡って来なかったけど、急斜面で仕留めた獲物をみんなで引っ張り上げたり、狩猟小屋で鍋の味付けを手伝ったり、巻き狩りに参加させていただくのは本当に楽しくて、全国に親戚のおじさんが増えたみたいです!

あり

自然──というと大きすぎるけど、メインの猟場に通うようになって、そこの自然が他人事ではなく、自分事として考えられるようになりました。山の変化にも気付くようになったら、もっともっと大切に思えるようになるんだと思います。

あり

自然と、ちゃんと関われるようになれる──かな?

あり

ではまた近々、皆さんとお会いできる日を、楽しみに!